こんばんは。
次男が4歳だった頃、家族で回転寿司に行きました。
そこで次男は、こぼれたいくらを見て、拍手をしたんです。
わー、素敵。
子どもは、ときどき、大人が忘れてしまった見え方を、そのまま言葉にします。
今夜は、思い出すたびに、こちらまで頬がゆるんでしまう。そんな言葉の話です。
当時、弟くんはまだ4歳でした。
食べられるお寿司が、ほとんどありませんでした。
マグロやハマチ、ハンバーグでさえ苦手でした。
そんな中で、唯一と言っていいほどの好物が、【いくら】でした。
弟くんのためにと、いつものお皿より少しだけ高い、一貫もののいくらを頼みました。
運ばれてきたいくらは、シャリの上に山盛りになっていました。
弟くんがお皿を持ち上げるたびに、つやつやした粒が、ふちからこぼれて皿の上へ落ちていきます。
こぼれた分は、あとでスプーンですくって、きれいに食べていました。
そこは、ちゃっかりしています。
弟くんは、こぼれていく【いくら】を、じっと見つめていました。
そして突然、両手を打ち鳴らして言いました。
わー、素敵。
しかも、「パチパチパチ」と声に出しながら、拍手までしていたんです。
僕は、思わず笑ってしまいました。
でも、笑いながら、少し驚いてもいました。
「素敵」です。
4歳の子が、こぼれるいくらを見て、「もったいない」でも、「いっぱい」でもなく、「素敵」と言いました。
大人なら、たぶん「あ、こぼれる、こぼれる」と言います。
あわてて皿を支えたり、箸を伸ばしたりします。
目の前の出来事を、まず<なんとかするもの>として見てしまうんですよね。
でも弟くんは、こぼれ落ちていく赤い粒を、ただ美しいものとして見ていました。
そして、その美しさに合う言葉を、ためらわずに差し出しました。
しかも、拍手まで添えていました。
――あなたにも、ありませんか。
きれいだと思ったのに、人前で「素敵」と口にするのは、少し気恥ずかしい。
心の中で思うだけで、やり過ごしてしまう。僕には、そんなことが何度もあります。
僕は長い間、言葉で人と向き合う仕事をしてきました。
どの言葉を、どの場面で、どんな順番で渡すのか。
ずっと考えてきたつもりです。
それでも、美しいものを前にして、素直に「素敵」と声に出し、手まで叩けるかと聞かれたら、たぶんできません。
照れてしまいます。
でも、4歳の次男には、できました。
きれいだと思ったものに、まっすぐ「素敵」と言い、拍手を贈る。
その迷いのなさを、僕はいまだに超えられていません。
あの日の「わー、素敵」を、次男本人はもう覚えていないと思います。
でも、僕は忘れません。
いくらを見るたびに、思い出します。
いや、きれいなものを見るたびに、あの小さな拍手を思い出すのだと思います。
あの日、僕が見ていたのは、こぼれるいくらだけではありませんでした。
「わー、素敵」と拍手する次男を見ながら、親の僕にも起きていたことがあります。
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今夜も、読んでくれてありがとうございました😄




ヒロのしんさん
大人になると感受性が薄れてしまうのか、感じても飲み込んでしまうのか。子どもの言葉にはハッとされる事ありますね。
ヒロのしんさん、はじめまして!
子どもって「感じたまま」を教えてくれますよね。
大人も、きれいと思った瞬間は素直に「素敵」と言葉にしていきたいです!^^