「おーい」の続きを、noteの控室に置きました
「おーい」の話を読んでくださった、あなたへ。
先日、生まれる前の息子に「おーい」と話しかけていた語録について書きました。
届いていないように見えたことばが、もしかしたら、届いていたのかもしれない。
そんな話でした。
あの記事には、静かな反響をいくつもいただきました。
読んでくださって、ありがとうございました。
じつは、あの話には続きがあります。
無料の記事では、あえて書かなかった続きです。
なぜ僕は、新と響を、いつも「ずっと前から繋がっていた」二人として書いてしまうのか。
なぜ、初めて出会ったはずの二人に、どこか昔からの気配をまとわせてしまうのか。
その理由に気づいたのは、神崎川のある一場面を書いていたときでした。
新と響を見ているはずなのに、いつの間にか、30年前の自分の記憶を見ていた。
その瞬間に、分かってしまったんです。
僕がずっと書こうとしていたものの、正体が。
noteのメンバーシップ「物語の裏側ノート」に、新しい会員限定記事を置きました。
『届いていた、と書きたくて』
この記事では、神崎川にまつわる僕自身の記憶について書いています。
その記憶を物語に書くうちに、どこまでが実際の記憶で、どこからが創作なのか、分からなくなっていったこと。
そして、長男の「おーい」と、新と響の「運命」が、同じ場所から生まれていたのかもしれないということ。
物語の、いちばん奥にある話です。
無料記事の「おーい」を読んでくださった方には、特に届く内容だと思います。
「物語の裏側ノート」は、完成した作品だけでなく、その物語がどこから生まれたのかを置いていく場所です。
場所の記憶。
子育ての中で残ったことば。
書いてから気づいた、自分の物語の癖。
表には出しきれない、でも作品を読むうえで大事な話を、これから少しずつ残していきます。
今回の記事は、その第一号のような一本です。
ここから、控室の扉を開けられます。
すでにメンバーの方は、そのまま読めます。
まだメンバーでない方も、よければこの機会に「物語の裏側ノート」をのぞいてみてください。
ことばの奥まで、一緒に。



