昨日、noteにこちらの記事を公開しました。
「会社が潰れて、僕は運動会に行けるようになった」という、少し変なタイトルの記事です。
お兄ちゃんの、小学一年生の運動会。
土日出勤の仕事で、僕は行けませんでした。
その話を書きながら、書かなかったことがあります。
こちらに置いておこうと思ったからです。
あの日、ご近所さんが観覧場所を確保してくださっていて、妻と、当時四つか五つだった弟くんを、そこへ入れてくれたそうです。
「そうです」と書くのは、僕がその場にいなかったからです。
全部、あとから聞いた話です。
たぶんですが——弟くんは、あの日のことを覚えていません。
四つか五つの子が、兄の運動会でご近所さんに世話をしてもらった一日。
本人に確かめたことはありませんが、覚えているとは思えません。
本人の記憶には、残っていない一日です。 でも、確かにありました。
いま、初孫が生まれて百日が過ぎました。
本当は名前で呼んでいますが、ここでは「あの子」と書かせてください。
弟くんは昼間、仕事であの子に会えません。 帰ってから、そして休みの日に、抱っこして、あやして、名前を呼んでいます。
「仕事に行ってると関わりが少なくて、なんか寂しいな」と言いながら。
でも、あの子はこの百日を、出来事としては覚えていないでしょう。 抱かれたことも、名前を呼ばれたことも、思い出として残ることはないと思います。
注がれているほうは、覚えないんです。
ここからが、noteに書かなかったことです。
僕は、お兄ちゃんの二つの運動会をどちらも覚えています。
行けなかった一年生の年と、行けた二年生の年。
二十年たっても、両方。
でも、覚えているものが、まったく違うんです。
一年生の年に覚えているのは、 画質の荒い映像と、巻き戻した回数の多さと、悔しさと、情けなさ。 あとは、コースが直線だったこと。 だるま転がしのような競技もあった気がしますが、そこははっきりしません。
息子がどんな顔で走ったのかは、覚えていません。
二年生の年は、トラックを一周する競争でした。
生で見る迫力。耳に直接響いてくる歓声と、音楽。頬にあたる秋風。 出番の前の、不安そうな顔。 コーナーを曲がるときの、真剣なまなざし。 終わったあとの、嬉しそうな笑顔。
全部、覚えています。
並べてみて、少しこたえました。
一年生の年に僕が覚えているのは、コースの形です。
二年生の年に僕が覚えているのは、息子の顔です。
映像は何度も見ました。息子はそこに映っていました。 なのに僕が持ち帰ったのは、悔しさと、情けなさと、直線コースだけでした。
全部、僕の話です。
それから父のことを、思い出しました。
僕が子どものころ、父も運動会にはほとんど来られませんでした。
来るのは、いつも母でした。
僕が覚えているのは、父が「いなかった」ことのほうです。
いてくれた日も、たしかにあったはずやのに、そちらは思い出せません。
注がれているほうは、覚えないんです。
僕も、そうでした。
行けなかった日は、自分の寂しさが残る。
行けた日は、子どもの顔が残る。
そういうことなんやと思います。
弟くんへ。
仕事に行っているあいだの寂しさは、たぶん、あなたの記憶になります。
帰ってから抱いている時間は、あの子の顔の記憶になります。
あの子は、そのどちらも覚えません。 覚えているのは、いつも親のほうです。
——この前、あなたにこう言いました。
「それが子どもを育てるってことやし、そう思うのなら、あの子と過ごす時間は目一杯抱っこしたりあやしたりしたら良いやん」
言いながら、わりと普通のことを言うたな、と思っていました。
いま書いてきて、やっとわかりました。 あれは、二十年前の運動会から来ていた言葉やったんやと思います。
あなたにも、親になってから初めてわかったことがあれば、返信で教えてください。




覚えているのはいつも親の方。じんわりかみしめました、この言葉。ほんとソレなんですよね。今、子どもと、どんな時間を過ごし、どんな想い出として残したいか…子ども軸ではなく自分軸でそう考えて、日常やイベントの想い出を重ねていきたいです。ってかお孫さんが生まれて100日?!やー♡可愛すぎますね✨親になったお子さんやお嫁さんも、お孫さんも…尊すぎますね…✨
子供にとっては寂しかった記憶の方が強く残る事もありますよね
でも、親御さんが努力している気持ちや姿勢は伝わる気がします。大人になって社会的責任が発生すると、だからだったのかなと親の行動を理解する事も。
直接見ている時の感情は何事にも変え難い思い出ですね。