その花火大会は、2001年を最後に、あの形では、もう打ち上がっていません。でも僕の中では、今でもあの夏の大輪が、目の前いっぱいに開いたままです。
淀川の土手で見上げた、首が痛くなるほど近い花火。
目の前で、有料観覧席ではなく無料で、信じられないくらい大きかった花火。
今日は、その花火の話を少しだけ書きます。
あの夜がなぜ、今も僕の中で終わっていないのか。
そして、その記憶がどう物語の奥へ流れ込んでいったのか。
いちばんの贅沢は、近さでした
今になって思うと、あの花火大会のいちばんの贅沢は、近さでした。
目の前で、本当に目の前で、大輪が開く。
見上げないと、全部が視界に収まらないくらい近い。
しかも、無料でした。
今は、どこの花火大会も、よく見える場所は有料の観覧席になっています。 それが悪いとは思いません。 安全に続けるには、お金も人手も必要です。
でも、ふらっと行って、何も払わずに、あんなに間近で大きな花火を見上げられた夏は、もうなかなか戻ってこない気がします。
首が痛くなるくらい、見上げていました
花火が打ち上がると、僕は立ち止まりました。
座るでもなく、ただ立ったまま、目の前の空を見上げる。
大きすぎて、首が痛くなるくらい上を向かないと収まらない。
ひとつ開くたびに、あたりが昼みたいにまばゆく光る。
自分の手も、足元も、白く照らされる。
光が、こんなに近い。 音が、こんなに体に響く。
そのたびに、ことばを忘れていた気がします。
覚えているのは、花火と花火のあいだでした
でも、僕がいちばん覚えているのは、花火そのものより、そのあいだかもしれません。
ひとつの花火が消えて、次が上がるまでの、わずかな静寂。
さっきまであれほどまばゆかったのに、ふっと暗くなる一瞬。
明るさと、暗さ。 轟音と、沈黙。
そのコントラストだけが、妙に鮮明に残っています。
花火が消えたあとの暗闇のなかを、僕は歩いていました。
立ち止まって見上げて、また歩く。
次の光が上がるのを、暗がりのなかで待ちながら。
戻れないのは、場所ではなく、あの夜でした
その花火大会が途絶えたと知ったのは、ずいぶん経ってからのことでした。
2001年を最後に、もう打ち上がっていない。
場所は今もあります。
淀川は流れているし、土手も、あの頃と同じようにそこにあります。
歩こうと思えば、いつでも歩けます。
でも、戻れません。
戻れないのは、場所ではなく、あの夜だからです。
あの近さも、あのまばゆさも、次の花火までの暗闇も、全部あの夏のあの夜にしかありませんでした。 もう二度と、同じかたちでは集まりません。
消えてしまった祭りには、続きがありません。
続きがないから、記憶のなかでだけ、いつまでも開いている。
妙な話ですが、僕にとってあの花火が今でも特別なのは、たぶん、もう打ち上がらないからです。
その記憶は、物語の中に流れ込んでいきました
目の前でまばゆく開いて、そしてふっと暗くなった、あの大輪。
あの花火は、まだ僕のなかで開ききっていません。
だからなのかもしれません。
僕の物語の中にも、あの夜の光と暗闇が、少しだけ流れ込んでいます。
登場人物たちが、ある夜、同じ空の下で交わる。
その場所に、僕はこの花火の記憶を置きました。
なぜ、もう打ち上がらない花火を、物語の大事な交差点にしたのか。
その話は、先にメンバーシップで書いています。
ここでは、その手前にある、僕自身の記憶だけを残しておきます。
もう、あんなに近くで花火は見られない。
でも、あの近さを知っているから、今も書ける場面があります。
もしあなたにも、もう戻らないのに、なぜか消えない夏の夜があれば
—— このメールに、そっと返信で教えてください。読ませていただきます。
また、この花火の記憶が、物語の奥でどんな夜に変わったのか。
その裏側は、noteのメンバーシップ「物語の裏側ノート」に書いています。
物語の奥まで読みたい方は、こちらで続きを。
▶ 会員記事: 一人で見た花火だから、新には一人で見せたくなかった




dm416さん
おはようございます!
リスタックありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
永野ヨウさん
改めましてこんにちは♪♪
リスタックありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。